専業主婦はある日、仕事復帰について考えた

専業主婦はある日、仕事復帰について考えた

2025.2.28

35歳。

いまから、なにができるのか。
じぶんは、なにがしたいのだろう。
そうはいっても、特別な強みもない。

考えてもかんがえても、特筆することがなにもありません。

ここ最近の一番の気づき。
「ほう、わたしは凡人だったのか」

大丈夫です。
すこし自虐的ではありますが、落ち込んではいません。

たぶん、まわりが凄すぎるのです。

* * *

生まれは、青森県の山と川に囲まれた田舎町です。

実家は自営業で、3世帯9人家族。
兄妹は4人。3番目です。
のんびりと、好きなことをして育ちました。

13年間剣道をしていました。

青春をすべて捧げましたが、全国で活躍するほどにはなれませんでした。

それから教員採用試験を受けるも、不合格。
翌年フィットネス業界の大手、セントラルスポーツ(株)に就職しました。
そこでは、人材育成や集客プログラム作成を経験しました。
しかし、役職に就く4年目を前に退職。

そして専業主婦になり、いまです。

文面では卑屈なようにありますが、この経験がいまを作り上げていますので、たいせつにしています。

このような一面もあります。

16歳で親元を離れ、下宿での一人暮らしを開始。
青森から始まり、鹿児島、兵庫、大阪、佐賀と16歳から32歳までに8回の引っ越しを経験しました。

公務員の妻としての2馬力生活と、専業主婦生活。
夫の転職で年収が3分の1まで落ちた、低所得の専業主婦生活。

第一子の産前産後は、大都会にて。
第二子の産前産後は、田舎にて。

このようにみると、環境が変わることへの抵抗感は、ないほうかもしれません。

* * *

そのようなわたしが、これから社会のためにできることはなんでしょう。

ひねり出した答えが、暮らしの中で学んだこと、経験したこと、巷にあふれる暮らし情報を「やさしくして、発信すること」でした。

それは、複雑なことが簡単に。
苦しいことが、楽に。
さみしいが、あたたかさに。

そういう、きっかけになるようなものです。

暮らしやすさから生まれる気持ちの余裕は、いざというときにじぶんや誰かを支える底力に変わるのではないか、と考えています。

だから、いろいろな立場や価値観をたいせつにし、それぞれの暮らしやすさが見つかるような発信をめざしています。

優しくつながりあえる社会を思い描いきながら、お役に立てる内容を配信するために日々アンテナを張り学んでいきます。

次の記事でも、お会いできることを楽しみにしています。

まずはこの記事8選
「暮らしやすさ」はいろいろなことが絡み合っています。 ここでは、よく読まれている記事を項目ごとにご紹介です。 目次を見て、気になるところへお進みください。 どの…
tankyuseikatsu.com